白旗の少女  沖縄 1945.6.25

2010年06月25日/ 大切なこと

そこではじめて、おじいさんに教えられたとおり、白旗をむすんだ木の枝を高く高くあげて歩きはじめました。
 まもなく、小高い丘と崖のあいだを通る道に出ました。
 そこで気づいたことは、わたしが逃げまわっているあいだじゅう、いつも聞こえていた砲弾や鉄砲の音が、まったく聞こえないことでした。
 ふりそそぐ太陽の光は、じっとしていても汗がふきでます。わたしが、首里の家を出たころは、梅雨に入ったばかりで、逃げ歩くあいだじゅう、雨がふったりやんだりして、道といわずガマのあたりといわず、迷いこんだ原野もあちこちでぬかるんで、歩くのにたいへん苦労したものでしたが、いまは、あたりは、もうすっかり夏で、あちこちに、かげろうがゆらゆらと立ちのぼっていました。
 そのかげろうに、おじいさんのフンドシでつくった三角形の白旗もゆらめいているようでした。
 どこかで、小鳥の鳴き声が聞こえました。ほおを風がこころよくなでます。まるで、これがあの戦場であったのかと思うくらい、なにもかものどかな感じでした。
 しかし、わたしの頭のなかでは、さっきから、おじいさんとおばあさんの顔が何度も何度もよみがえっては消え、消えてはまたよみがえっていました。
 そのとき、父の声が耳もとで聞こえたような気がしました。
「富子、最後までがんばるんだぞ。」
 そして、母の声がつづきます。
「富子、お母さんもここにいるのよ。」
わたしは、歩きながら、自分のまわりをぐるっと見まわしました。だれもいません。
「きっと、気のせいなんだ。」

・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・

「ううん、はじめは一人ぽっちだったけど、そのあとは、わたし一人ぽっちじゃなかったよ。とてもやさしいおじいさんとおばあさんと、ずうっといっしょだったんだもの。」
 声にはだしませんでしたが、姉たちには心のなかで返事をしました。
 トラックが、またガタンとはずみました。
「おじいさん、おばあさん。ウワカリサビラ。(お別れします、さようなら。)
 アメリカ軍の記録では、その日は、昭和二十年(一九四五年)六月二五日だということです。
                                            (おわり)

 『白旗の少女』  比嘉富子/作 依光隆/絵 講談社 青い鳥文庫 2000 より引用


45日間も逃げ続けた少女の日々
重過ぎる戦争の悲惨さに圧倒された
人間の身勝手と残酷さの極み

そんな中でも、やさしさを失わない人がいた
本当に本当に尊い、人のやさしさ
 


タグ :子ども

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Posted by おがししょ at 23:57│Comments(0)
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